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イラストレーター&DJ、小池アミイゴ(amigos koike)本人による活動記録。
作品やイラストレーションの仕事の紹介。
唄のためのイベント「our songs」 のインフォ。

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”カフェばか日誌”について

福岡のカフェsonesと東京に住んでいるボクとの往復書簡で生まれた作品です。
テキスト:木下恵深(sones)
イラスト:小池アミイゴ

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「sones動物園」開園です。


先日行った動物園へのスケッチピクニック
そこで生まれた動物どもを、sonesに展示。
「SONES動物園」開園!

動物ども、10月25日まで、sonesの壁をノッシノッシと這っています。

動物ども、10月25日まで、sonesの壁にペラリペラリと貼られています。

月曜日の午後、フライトまでの僅かな時間でしたが、
ボクの「楽しい!」をフル回転しての作業。

さて、みなさんに楽しんでいただけるでしょうかね?


カフェでの展示は、あくまでもそこに来るお客様が主役。
そして、それは店主さんやスタッフが考える“もてなしの空間”があってこそ。
そこにイレギュラーで展示される絵なんて邪魔臭いモノ!

そんな発想で展示しないと、せっかくの飲み物やゴハンがマズくなっちまうのです。

「ボクをみて〜〜!」ではなく、
「あ、目が合っちゃいましたね、、」なんてね、
そんなストリートの延長のような考えで、
今日はちょっと変わったお客さんが来てるよ、的な展示が良いと思うのです。

ちょっと変わっているけど、品の良さを感じる。そんなです。


そして描いた人の視線。
それを尊重すれば、限られた空間に絵の数だけ窓が開き、
そこにいる人のイマジネーションの風景が広がるのです。

以前、ボクの関わったあるイベントで小学生から集めた絵を展示しました。
沢山集まった絵を係の人が、イベントの雰囲気に合わせてなんでしょうけど、
会場に張ったヒモにぶら下げていました。

集められた絵が傾いたままぶら下がっているのを見て、
ボクは息苦しくなり、展示してる人に聞いてみました。

「この絵は、傾いたりして展示されるのを伝えてから描いてもらったのですか?」
「もしそうでないのなら、描いた人(コドモ)の視線を尊重しなきゃならないんじゃないか?」

いやいや、そもそも空間にぶら下がった感じが、なんともカッコ悪かったし、
そこでのライブが見づらいなんてのもあったんだけど、
“純粋な”“コドモたちが”描いた“絵”、そんな言葉に酔っているように思えたのかな。

その“描いた人(コドモ)”へも、“見る人(接する人)”へもイマジネーションを欠いた表現に、
「なめんなよー!!」だったのです。

ともかく、描くのも、展示するのも、意思。
それに関わって来る人が増えたら増えたなりの意思を重ねて、
しかしシンプルに品よく。

そんなんが基本です。

で、どうだろう?今回の展示、、
メチャクチャプレッシャーの中、“イマジネーション”と“気紛れ”を武器に展示。
接する人の心の揺らぎ、その波長と同調してくれたらいいんだけどな、、

で、
実は思いがけない事が影響を与えたりもするんだよね、展示、
てか、アート、
う〜〜ん、表現そのもの!

この展示の直前まで貼られていた写真。


これは、人ヒトリに対する慈しみと、どうしようもない偶然でもって四つん這いの動物のようになったわけで、

そこでの発見、もしくは「おもしろい!」は、
そのまま今回の展示のイマジネーションを刺激しました。

こんな同時代性の中での連鎖が、
人ヒトリの“願うと願わざると”に関わらず、未来に影響を与えてくんです。

それがシアワセなものであるよう、やれるべきことをやってゆきたいですね。


なっ!



| 2007.10.17 Wednesday 03:13 | 展覧会 |comments(2) | trackbacks(0) |

コメント

そうですね!
時々、自分がカフェでやる音楽について考えます。
あんなパフォーマンスしておいて、こういう事言うと変だろうけど。
お客は主役です。
ライヴハウスやクラブなら、どういうパフォーマンスでもいいんですけど。
美味しい料理、美味しい珈琲、美味しいお酒も楽しむ人がいるんですよね。おしゃべりも楽しみたい。
そこで自分は壁の絵くらいに、テーブルの上の小さな花みたいに、表現しないと、いけないのかもなって思ったりします。自分ならうるさくて、味覚とかワケ判らなくなるんです。音の大きいところで料理食べてると、味がわからない・・。
私のライヴパフォーマンスは、あえて、あんな風にやってるけど、つまり、今日はそういう夜だよ的に。
だから本来なら、うっすら聴こえてくる程度の唄でいいのだ。って。わたしが、そこに立って、唄っていようと、わたしすら見えない。
そんな唄。
でも、今はカフェミュージックとか、そういうのが流行ってるので、壊さないといけない立場だって思ってます。そうしないと、タダのぬるいシーンで終わってしまうから。
でも、本来の自分はひっそりしてる表現者でいたいんですけどね。
eli|2007/10/18 5:54 PM|
>eliさん。
商売にされた「癒し」や「カフェ」での「共感」するための音楽は嫌ですね。
特に「売れている」と言われているボッサアレンジのカバー集などは、毒にも薬にもならぬ顔しときながら、人を殺すんじゃないか?なんて空恐ろしさを感じます。

お互い、現場ではマックス弾けますが、
それはきっとこんなでしょう。
動があるから静が際立つ。
とか、
影があるから光を感じる。
とか、
そんな当たり前のことをスポイルして作られる「癒し」は、やっぱ人を殺すものになるんだろうな。

歳を重ねるごとにマティスの絵が好きになってゆきます。
彼だけが操れるこれ以上無いくらいの鮮やかな色を重ね、抜群の構図の躍動感でもって描かれても、暖かな日の光の静寂に包まれている作品。

「心地よい肘掛け椅子のような絵」

それが無くても困らないのだけど、その人の人生を尊重し寄り添う存在。

そんなです。

|小池アミイゴ|2007/10/19 5:16 PM|










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