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イラストレーター&DJ、小池アミイゴ(amigos koike)本人による活動記録。
作品やイラストレーションの仕事の紹介。
唄のためのイベント「our songs」 のインフォ。

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”カフェばか日誌”について

福岡のカフェsonesと東京に住んでいるボクとの往復書簡で生まれた作品です。
テキスト:木下恵深(sones)
イラスト:小池アミイゴ

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Our Songs について


ひどいフライヤーですね。

1996年7月、
青山のKISSという箱で初めて“Our Songs”というタイトルで始めた時のものです。

文字は手描きと印刷物をコピーして切り貼り。
石器時代のドロボーの仕事みたいなもんです。

最近SPUMAでやっているOur Songs の「次」が見えてきたので、
チョコッとこのイベントを振り返っておこうと思います。

この前年まで下北沢にあったSLITSでバンドとしてのイベントをやっていたのだけど、
当時のフロアを“盛り”“上げる”て感じが自分にはフィットしなくて、
唄のグルーヴを紡いでジワジワっと熱くなるような時間を創りたい欲求が膨らんだんだね。
D'AngeloとかAALIYAHのslowな曲こそ踊りたい曲だったしね。

そこに至るには、ラブタンバリンズをやっていたeliちゃんとか何人かの唄う女性に出会ったことがデカクて、
決して強くはない彼女たちのマインドを守りながら、
“○○系”ではない彼女たちの生の唄のグルーヴを感じられ、
ナニかあったら帰ってこれる場所でもあろうと思ったんだね。


同時期恵比寿のカチャトラで始まっていた、
現在のカフェライブのひな形“sunday workshop cafe”が心強い存在でもあったね。

その中心にあったacoustic dub messengersにOur Songsとして初めてライブをお願いしたんだけど、
それが当時のイケイケなclubシーンでは考えられない電気を全く使わない生音だったわけで、
関係各位みんなビビっていたけど「まあ信じてくれ!」てね、
ともかく忘れられない“LIVE”になったね。

それにしても10時からライブやるって言っても余裕で0時にくるようなヤツらばかりがボクのお客さんで、
つくづくヤキモキ疲れることばかり。
でもそこを我慢して強制しないことで“LIVE”が生まれたと思うけど、
さて?

ちなみにKISSは山本宇一さんのコンセプトの店で、
その頃から“食”に気をかけながらやっていたので良い経験も出来たし、
宇一さん始めスタッフのみんなも乗ってくれて沢山のLOVEも頂けて心強かったね。

そんなKISSのビルが無くなるということで、
Our Songs は六本木へ。


またヒドいフライヤーだなあ、、

KISSでのOur Songsの評判が青山界隈にチビット広がって、
色んなとこでDJやるようになったんだけど、
その中で青山でブイブイ言わせてたclub“APOLO”のコンセプトを六本木に持っていった“Plastic”から声をかけてもらって、
「ノンジャンルで盛り上げないイベントだけど良いか?」と聞いたらOKが出たので、
Our Songsとしてお世話になることになりました。

同時期青山のojasという箱でもちょこちょこやらせてもらったんだけど、
コンピレーションアルバムで一緒になったクラムボンやSBDのメンツと一緒になることが多くて、
渋谷系以降に出て来た新世代の中から「唄」を絞り出す場所として“Plastic”のOur Songsは機能させていったかもね。

ともかく色んな人やグループに実験的なライブを重ねてもらって、
一晩のうち前半は徹底的なslow jamをボクが選曲、
真ん中をNaoくんが徹底的な職人技のDJで盛り上げて、
最後は狂った選曲をボクが、
そんなスタイルで朝5時の閉店時間を大きく過ぎるまでやってたね。


ただまあ、自分の芯は“ジワッとしたグルーヴ”だから、
クラムボンが「Our Songs」なんてくすぐったい曲を創ってくれたり、
ハナレグミ前夜の永積くんが人気膨らんでいってくれたり、
それはウレシイことだけど、
しかし「孤独で弱い女の子ちゃんの唄のマインドを守る」てところから離れていって、
なんか「ステキな人が集まるステキなイベント」で終わっちゃうなあ〜、とね。

そこで99年に止めたんだね。

でもってもっと間口の広い“春夏秋冬”て唄のオープンマイクなイベントを“ojas”で始め、
ともかく良いも悪いも強いも弱いも呑み込んで毎回が闘い。

Our Songsは不定期開催。
必然が生まれた時だけ青山のCAYや吉祥寺のスターパインズカフェで開き、
その中の1本がキッカケで5年前の福岡でのOur Songs開催と、
cafe week というイベントとの出会いをくれたんだね。

それが結局今のSPUMAに繋がり、
『いつものSPUMA』みたいなユルイコンセプトで、
cafe ならではのやり方を模索しながら、
2年前の春のeliちゃんの復活でもって、
自分の中で本来のOur Songsが復活してきたんだね。

その間ホント色んな人とコミュニケーションを重ね、
人のプライベートに立ち入ることはせず、
キチンと距離を測りながらも唄のマインドに寄り添い、
渾身のブッキングでやってきたけど、
こんなメンドクサイやり方だからね、
毎回毎回が一期一会で孤独。

「疲れるぜ、」と思うことばかりだけれど、
きっと初めてだろな、
今このイベントの参加者の中から“次”が生まれる感じ。

そこにイヤな“内輪感”は感じられず、
生きる事自体が困難な時代にあって、
ちょっと希望でさえあるな〜とね。

それが音楽や唄の力であれば、
この13年は無駄じゃない?

なんかカッコ良さげに書いちゃったけど、
ここに名前が上がらなかった沢山の方々に支えられ、
しかしある時はメチャメチャぶつかったりすることがあってこそ、
人と唄の理想を求めてやってこれたはずです。

ともかくこれからもカッコ悪くやってきますよ。

| 2008.09.19 Friday 21:37 | 音楽/イベント |comments(4) | trackbacks(0) |

コメント

はじめまして。セツの後輩です。

OurSongs・・KISSの頃から気になっていても結局行けず終いでした。
チラと歴史を垣間見た思いです。ありがとうございます。

なにかやってみたいような、いろんな人に会いたいような気持ちになりました。

|ハジメ|2008/09/22 8:53 PM|
>ハジメさん。
はじめまして、
ですかね?

あの頃はちっとも立派なイベントではなく、
今はとてつもなく地味なイベントですが、
愛と熱はどこにも負けないつもりでやってきました。

そうい心意気を暑苦しく思い敬遠する時代もありましたが、
今はまったくそんなこと言ってられない時代だと思います。

とは言え「東日本一ユルい」と豪語してきたボクの時間でもあります。
チャンスあればどうぞ御ユルリといらっしゃってくださいね〜。

|小池アミイゴ|2008/09/23 5:36 PM|
しみじみ読みました

って
しみじみしてる場合じゃないんだよね

わたしは、約2年半前にoursongsに参加したんですもの

ユルいって
厳しい世界って想うよ。
だから、クオリティも高い

ゆるーい空間って、自由だから、自分で考えなくちゃいけないんだな。自分から動かないとどーにもならないんだよね。

ヌルいとは違うから。

でも、最初に、わたしは唄再始動したときに想ったのは
生意気にも「これじゃダメだ!引退できないじゃん」と言う感想でした。
なんだろ?
きっと、どうしたらいいか?が思いつかないんだろうな

だったら、私が実際にやって見せないといけないな。

って想ったのでした

もう、丸々、生き様で見せてやる!そう腹括ったわけです

しかし、続けるって凄いって思います

今の時代なら
暑苦しいミッドナイトパレードは響くのかもね。

相変わらず、皆、癒されたがってるけどさ。



eli|2008/09/24 7:12 AM|
>eliさん。
ユルイってホント難しいですね。

関わるみんなが全員オトナでなければならないし、
そこにコドモや弱者がいたら厳しさも含めた優しいケアをしなきゃならない。

ゴハンだって唄だって、出来合のものや粗悪な素材を使って平気な顔してられない。

やることやって、人より余計汗流して、最後まで集まってくれたみなさんに心を砕いて、初めて“ユルイ”。
そして自由。

厳しいっす。

こんなバカなこと言ってるのはボクくらいでしょうけどね。
方法論の美味しいとこだけ持って行かれちゃったりで、
これじゃオレの10年は失われた10年になってしまうね。

だから、毎回ゼロから構築しなきゃ。
でもって、東京でこのイベントを続けてきて初めて“賛同”だったり“共鳴”を感じているのです。

その瞬間に、
SAY NO BROTHER!!
SAY NO SISTER!!
と響いた必然、うれしく感じました。
|小池アミイゴ|2008/09/24 6:37 PM|










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