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イラストレーター&DJ、小池アミイゴ(amigos koike)本人による活動記録。
作品やイラストレーションの仕事の紹介。
唄のためのイベント「our songs」 のインフォ。

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”カフェばか日誌”について

福岡のカフェsonesと東京に住んでいるボクとの往復書簡で生まれた作品です。
テキスト:木下恵深(sones)
イラスト:小池アミイゴ

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アウトプット


無垢な表現が好きだなという話。

「○○のために」なんて感じで枕詞が先に来てしまうような表現は簡単に見透かされちゃうなあ、という話でもあります。

絵でも音楽でも、料理とかでもいいや。

その表現が真に人から愛されるものであるとしたら、
その完成形に至るまで、楽なことや楽しいことなんか1つも無いんじゃないかな。

辛くて当たり前。
自分が嫌になるようなことの繰り返し。
そんな日々での研鑽。

それでも最後の作業で生まれたモノが人を喜ばせるモノであるという確信。

自分の作ったモノを手にする人の中に生まれるヨロコビ。
それに対する深い深いイマジネーションを創造の確信に変えてゆく、
なんだろうかな?
“無垢な魂”って言っておこうかな。

そんなのが生まれて初めて、
日々の苦しかったり辛かったりする作業がヨロコビに変わる。

「今日の苦しみは明日の誰かのヨロコビだ!」

それが自分のヨロコビだよ。


良く耳にする話。

「自分が幸せじゃなければ人を幸せにする表現は創れないんじゃないか?」
(これは“幸せ”を“楽しく”に替えて聞かされることもあるね)

それに対して、
今この時点でのボクの答えはNOだな。

「自分が幸せじゃなくても」「人にはイマジネーションがあるじゃん」

それを鍛えることが創造のかなりの部分であるはず。

それはやっぱ大変な作業の積み重ね。

でもって最後、
積み重ねたイマジネーションや技術や経験などなど、
そしてホトンドの場合で他者とのコミュニケーション、
そんなこんなを一気に高め、

しかしそのアウトプウトの瞬間はゼロ。

仕上がるモノのヨロコビを確信して、
ただ無垢な存在として表現。

絵のひとタッチ目から筆を置くまで、
ピアノ曲の1つ目の音符から最後の休符まで、
料理が火にかけられ皿に盛られるまで、

その間に在る限り世界で一番幸せな存在。

そんなして生まれたモノのヨロコビはそれを受け取る人のものだね。

それを虚しく感じるのか、自分のヨロコビと変えられるのか、
遊びと仕事の区切りはその辺なのかな、なんて思います。

そんな仕事として生まれたモノこそが、
人を幸せにするものであればいいなと思います。





| 2008.10.29 Wednesday 04:19 | 雑記 |comments(2) | trackbacks(0) |

コメント

何かを表現したり伝えたいってことは、そこまでいくのにほんと孤独な日々ですよね。

投げかけて、打ちのめされて、たたかれて、その中に本気を見つけたり。

そっから這い上がって、それでも進むときのエネルギーが大事に思います。

よわっちく崩れているときもありますが、だれかしら励ましたりしてくれるんですよね、ありがたいです。
|ki-machan|2008/10/30 3:20 PM|
>ki-machanさん。
で、
誰かが励ましてくれる、
それが自分で創ったものを手にした人のヨロコビから感じられたら、
プロへの扉を開けられるのでしょう。

そこが、なんとも大げさなコトに置き換えられてしまい、
“自称アーティスト”レベルの人が翻弄されて終ってしまう、
そんなのをベラボウな数見てきてるわけです。

てことは、
とんでもなく些細な中にヨロコビを見つけることの出来る目を持てるかどうか、
その辺が“資質”なのかな、なんて思うのです。
|小池アミイゴ|2008/11/02 1:05 AM|










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