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イラストレーター&DJ、小池アミイゴ(amigos koike)本人による活動記録。
作品やイラストレーションの仕事の紹介。
唄のためのイベント「our songs」 のインフォ。

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”カフェばか日誌”について

福岡のカフェsonesと東京に住んでいるボクとの往復書簡で生まれた作品です。
テキスト:木下恵深(sones)
イラスト:小池アミイゴ

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我が、ふるさと。


千駄ヶ谷にあるギャラリーefの企画展
「我が。ふるさと。」
ふるさと回帰。あるいは ふるさとへのオマージュ。2009

に参加します。

ボクが参加するのは1月26日から2月6日までの会期です。

テーマがテーマなので、描いている最中は身体の芯から沸き上がってくる毒との闘い。
“2009年1月○日、現在地点でのボクの箱庭”みたいになってしまいました。

なってしまいましたが、
これがボクの本質なんだな〜、としみじみ。

毒を制して薬に変えて、
そんなスッタモンダな作業は、
人に見られたら失笑の極みでしかありませんが、
そうやってこそ初めて人の心を温められるものを生めるのかな、
そんなスッタモンダな星の巡り合わせの中で生かされてるんだ、
なんて思えるようになりました。

まだまだヘタッピですが、
これからの制作の半分はこんな箱庭的なものになるように思います。

以下にこの展覧会に参加するために作ったテキストを載せておきますね。
こういった展覧会に参加する際、
自分が自分に挿絵の仕事の依頼をして描く、
そんなつもりで毎回書いているテキストです。

ボクが生まれ育った場所は赤城山の山頂から関東平野に向けて南北に細長く伸びた小さな村でした。

その南部を横切る県道に面した借家から北へ774メートル、軽トラックに荷物を積んで新しい家に引っ越してきたのが5才の5月。
“上毛電鉄”という車掌さんがくわえタバコで検札をしてたローカル線の駅から南へ203メートルのところでした。

今住んでいる渋谷の家から直線距離で94キロメートル、標高167メートル。

太陽を見上げれば背中に赤城山、赤城山に向かえば乾いて冷たい空っ風が小石を顔にぶつけたけれど、背中は陽の光でポカポカでした。

その赤城山から流れる粕川が造った扇状地の真ん中辺り。
利根川が造り上げた広大な関東平野はボクの足元から始まります。

当時は世界有数の養蚕地帯であり、世界の半分は桑畑なんじゃないかって思えるくらい桑の葉に覆われた村でした。
新しい家も桑畑が目の前まで迫り、引っ越して1ヶ月もすると枝葉も伸び切り、駅から家までの細い道は桑の葉のトンネルになりました。
ここを抜けてやって来る伯父さんは「車が傷ついちまってかなわねえや」とぼやくのでした。

浅間山の噴火がもたらした関東ローム層の赤土に乗っかった土地は水はけが悪く、雨が降ると地面はグチャグチャになり、伯父さんの車はぬかるみにハマり動かなくなりました。
乾季の冬になると景色は一転、枝を短く刈られた桑の木が並ぶ墓場のような景色を、砂漠の砂嵐のように砂ぼこりが覆うのでした。

それでも養蚕地帯特有の景色の1つ1つは、人の誠実な営みが造る小さな美しさに溢れたもので、ボクの日々に探検と発見のヨロコビを積み重ねてくれました。

昼は日本で一番陽の光が降り注ぐ土地ですが、夜の静けさは寂しく、県道を通る車の音や地球が動く音に聞き耳を立てながら、楽しいコトだけを想像しながら寝ました。

その後桑畑の多くは宅地に変わり、16年前に新しい家も焼け、家族の有り様も変わり、村そのものも合併により消えてしまいましたが、
赤城山はそこにあり、ナニか1つ思うごとに赤城山の方を見るクセは相変わらずなのです。

-------------------
以上。


前回の日記でお知らせしたように、
もう少しでこのブログは更新を止めアーカイブへ。
新しいブログに移行します。


そんな作業と平行して動き出したmusic bird ブログ
先日は若いヤツらと街を歩きました

| 2009.01.23 Friday 02:43 | イラストレーション |comments(9) | trackbacks(0) |

コメント

桑の枝、車のボディ、キィーキィー言わせてました。

遠くさかのぼれば、暗紫のどどめを食べたり、本物の枝か尺取り虫か?を眺めたり。

祖父母宅の蚕小屋にて、桑に大量の蚕さんが渦巻いていたときのグロテスクな光景におののき、

高校では裏に生糸工場があり、あの独特の臭いに、ときどき吐き気をもよおしたり。

桑畑だけで、たくさんよみがえってきました。

|ki-machan|2009/01/24 3:24 AM|
>ki-machanさん。
桑の実、通称“ドドメ”は、
なんで食べたことがバレるんでしょうね?

服や口の周りを汚さないように気をつけて食べても、
絶対に親にバレた。

まあ、ボクらは隠れて食べるわけだけど、
親としては農薬をバンバン使っていた時代だったから、
ともかく「食っちゃダメ!」でしたね。

|小池アミイゴ|2009/01/24 3:41 PM|
バレましたね。食った顔になっているんでしょうね。

そういえば、ヘリで農薬の空中散布をしていて、その間は外に出るな!と言われてました。

あの頃は怖いもの知らずというか、アホだったので、農薬まじりのドドメを食べてたってことですね。
|ki-machan|2009/01/25 3:30 PM|
赤城かな?と、絵を見て思いながら読ませていただいてたら、やはり赤城か!と、鼻息が荒くなりました。
私は今、赤城を毎日眺めて生活しております。
赤城の雲のかかり具合で、天気を予測してみたり。

小さい頃は、うちの辺も桑畑がたくさんあり、うすら覚えてます、繭玉を煮だすあの残酷な光景と臭さと、白いイモムシみたいのが桑の葉の中でうようよしてカサカサ葉の音があちこちから聞こえてくるのを‥。

空中散布も間近でみてました。
飛行機の低空飛行を見たくて、田んぼふちに立って見てましたが、自分にも散布されてたんですねきっと。

これからの時期、毎年恒例「前方、砂で見えませんけど!」な、砂嵐になります。
嫌です。
耳や鼻や毛穴に砂がたまるし、砂が当たると痛いからです。


いきなり熱く赤城山ふもと地帯よりおおくりしました。

またお会いしましょう。
|八ツ田|2009/01/25 10:45 PM|
>ki-machanさん。
農薬、余裕で頭の上に農薬ふりかけてましたよ。

小学校の帰り道、軽飛行機が飛んで来てバァーっとふりかけてきやがって、
「目が痛てー!」「死ぬー、、」とか叫びながら笑って逃げてました。

そういう時代でしたね。

>八ツ田さん。
繭玉、煮出してましたね〜、、
あの匂い、懐かしいような、やっぱ恐ろしいような。。
しかし、あんなモノが絹糸になって着物になること、
知れば知るほど神々しく見えてきました、おカイコ様。

ところで赤城山は、
ボクの育った辺り、
赤城山のちょうど真南から眺めるのが一番美しいと思うのですが、
他の土地の方も同じこと言ってそうで、あまり大声で言わないようにしております。

でも、キレイなんですよ〜!
|小池アミイゴ|2009/01/26 1:05 PM|
実はうちの辺りも、絵と同じように山が見えるので、方角はおそらく同じかと思われます。

綺麗ですよね、私も気に入ってます。
|八ツ田|2009/01/27 7:00 PM|
>八ツ田さん。
ありゃ!
このカタチの赤城山ですか!!
ならばだいたいあの辺りからあの辺りまでの範囲ですね。
きっとそこは広い広い場所ですね!
|小池アミイゴ|2009/01/28 5:18 AM|
そうそう、あの辺りでございます。
まったいら〜らりらりら〜
|八ツ田|2009/01/29 7:34 PM|
>八ツ田さん。
今日は大雨。
空っ風も一休みですね。
|小池アミイゴ|2009/01/30 9:52 PM|










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